神田 武夫【19】

非運の名投手
防1.14 24勝20敗
【獲得タイトル】
なし
【プロ経歴】
1941年プロ入り
南海軍 (1941〜1943)
南海の大黒柱であったが僅か2年の実働に終わった右腕。京都商業のエースとして甲子園で名だたる大投手と投げ合い卒業後南海に入団。既に世の中は戦争の真っ只中であり選手も既に何名かは戦地に向かい選手層が薄くなっていく中1年目からフル回転の活躍で1年目25勝、2年目は24勝とチームの勝ち数の半分を占める成績を残した。しかし、プロ入り前に肺病を患っており完治はせずマウンドに上がっておりマウンド上で喀血した事やプレー中以外はマスクをして過ごすなど無理を押して試合出場した事が選手生命どころか自らの命を削る事になった。1943年は床に伏せる事が多くなり7月に僅か21歳の若さで逝去した。


パワナンバー11900 61307 16065
【査定】
(ノビB)
キレのある快速球
(闘志)
気性は荒かったらしい
(根性○)
フル回転の登板でチームを支える。喀血しても投げるタフさも備える
(要所○)
チームの勝ち星の約半分を稼いだし
(逃げ球)+(ゴロピッチャー)
被本塁打1本のみ。打低環境だけどね
(ナックル)
ナックルを投げていたのではなく当時ボールが粗悪でありファールなどでボールが変形する事があったが、神田は変形したボールを逆手にとって独特の軌道を描くボールを投げていた事から。
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